10月29日 センターでの出来事

私はセンターに行くたびに自分の力の無さに涙が零れます。救いに行っているのか見捨てに行っているのか分からなくなるのです。私は自分の心の弱さといつも戦っています。長く活動していますが強くなれません。心の弱さはきっと人一倍ではないでしょうか…。平常心で過ごすことなど出来ないのです。愛ちゃんだって、捕まえられなければ連れて帰ってあげることなど出来ません。捕まえられない=救えないことになるのです。愛ちゃんを救うため何とかバリケンに入れようと努力しますがあっちにこっちに凄いスピードで逃げ回ります。愛ちゃんと一緒に収容されている子も逃げ回ります。私たちが救いに来たことなど分からず怖くて怖くて、みんな必死に逃げまくります。救えるのは愛ちゃんだけ。他の子を見ないように見ないように・・・愛ちゃんに集中して必ず捕まえなければ!そう思っても視界の中に入らない訳もありません。ハウスにいる空君にそっくりの子が愛ちゃんと一緒に必死に逃げていました。愛ちゃんだけをバリケンに入れて、みんなを置いて去らなければなりません。その子に残された命はこの日一晩だけ。夜が明ければ殺処分なのです。分かっていても救ってあげたくても、センターに収容されている子全員を救う力などあるはずもありません。もしそれが出来るなら毎日喜んでセンターに足を運びます。その場を去るとき、手を伸ばせば救える命がそこにあるのに救えない…見殺しです。出来れば直視したくない現実を目の前にして心は乱れるばかり。その子の顔が、その子の声が、センターに木魂する皆の「ワンワン!」と言う声が、頭から離れることはありません。

そして愛ちゃんだけを連れて、心の中で残して来た子達に謝りながらその場を去り、手続きを・・・。

そこに4匹の赤ちゃん猫が処分のため持ち込まれました。そのおじさんは、「先ほど電話したものです。敷地内で野良猫が産んだ子を連れてきました」と言いました。心が震え、そして足が震えました。ダンボールに入れられた赤ちゃん達がにゃ〜にゃ〜と鳴いています。ダンボールを登ろうとカシャカシャっと音を立てます。「処分されるんですよ」というセンターの方の言葉に「はい。はい。」と気軽に答え手続きが進んでいます。「私が引き取ります」何度そう叫ぼうとしたか分かりません。自分の心臓の音がバクバクなっていました。たった今、愛ちゃん以外のワンちゃんを見捨ててきた私たち…今度は同じように何の罪も無い赤ちゃん猫たちを見捨てなければならない悔しさ…言葉に出来ないけど、気が遠のいていく無力感に襲われます。出来ることと出来ないことの境界線は難しい。難し過ぎます。「私が引き取ります」その一言で救える命が沢山あるんです。連れてきたオジサンが意図も簡単に、殺されると聞いても引き渡しているのを見て、自分の行動が罪も無い4つの命を奪うという事に何のためらいも無いのかと大きな悲しみを感じました。この子達を救えない私も、「私が引き取ります」と声に出来ない私も、このオジサンと変わらないのだろうか?奥に連れて行かれる子猫たち・・・平然と手続きしているオジサン・・・ただ黙って見ている私・・・奥に行けば他にも猫ちゃん達がいる・・・その4つの小さな命を救えたからといって満足できるわけではない。だけど、それでも、私はその子達を救いたかった。どんなにママ猫を求めていることだろう…。ママ猫はどんなにこの子達を探していることだろう…。このオジサンには何も分からないのだろうか?どうしてそっとしてあげられないんだろう?どうして捕まえてまで殺さなくちゃいけないんだろう?人間さえ良ければそれでいいの?犬や猫をどれだけ殺したって許されるの?今必死に生きていて、鳴いていて、カシャカシャっと音を立てている赤ちゃん達、あなたがその書面にサインをするのをやめるだけで生きることが許されるのに、鳴いている声が聞こえないの?心の叫びはあなたには届かないの?心も頭もぐちゃぐちゃになりながら立ちすくんでいた私です。

出来ることと出来ないことの境界線…救おうと手を伸ばせば救える命。でも赤ちゃんを抱えれば又仕事が出来なくなる。これ以上、収入が無くなったら自殺行為である事はもう確かな状態なのです。赤ちゃん猫たちを育て上げ、やっとまともに仕事を開始したところで自分が病に倒れ又まともに働けなくなって資金面は限界に来ています。お金さえあれば・・・そんな理由で諦めなければならない命・・・これが現実です。強い精神力と体力、行動力、そして何よりも経済力に左右されてしまうのです。どんなに辛い事でも精神的な問題なら耐えてみせます。しかし多くの子達を守っていかなければならない責任がある私達には、金銭面が限界を越えている今、無謀な救護は行えないと言う答えを出すしかありませんでした・・・。

センター閉館ギリギリに愛ちゃんの救護に行った私たち。赤ちゃん猫たちが持ち込まれたのも同じでした。通常なら野良ちゃんや持ち込まれた猫ちゃん達は即日処分ですが時間が時間だったため明日の早朝までなら救える道を見つけられるかも知れない。そんな気持ちで愛ちゃんだけを連れてセンターを後にしました。


シンさんといくら話し合っても「救えない命」と諦める以外にないまま時間だけが流れていきました。持ち込まれた赤ちゃん猫達の鳴声もセンターに残して来た犬達の鳴声も頭の中に木魂して消えることは有りません。全てを救えるわけじゃない・・・分かっているけど、割り切れない、諦めきれない…そんな気持ちで…そんな気持ちで、私は支えて下さっている会員さまに「赤ちゃん猫4匹の預かりは無理ですよね?」等と携帯にメールを入れました。非常識にも夜中の4時9分に・・・。それほど助けたい気持ちに追い詰められていました。でも、彼女に命の選択をさせる事だけはしたくなかったので処分になってしまう事だけは言いませんでした。だけど彼女は非常識な時間にそんなメールをした私に「ちゃんと少しでも寝てますか?」と優しい言葉を掛けてくださり、私が困っているのなら出来る限りの事をしたいと思っています…と預かりをOKして下さいました。

私は朝一番にセンターに電話をして猫ちゃん達4匹の引き取りを申し出ました。しかし赤ちゃん達はあんな閉館間際に持ち込まれてきたと言うのに、あのあと直ぐに処分が行われたと言う返事が返ってきました・・・。

センターに持ち込まれてきて鳴いていた子猫たち。手続きが行われる数分の間しかその子達を救うチャンスは無かったのです。あのとき私が「私が引き取ります」と声にする事が出来たなら、今頃きっと会員さまがその子達を抱きしめて下さっていた事でしょう。

ママのミルクを求めて鳴いていた子猫たち。あの子達が次に吸ったのは、ママの温かいミルクではなく、苦しい苦しいガスでした・・・。

何のために生まれてきたのでしょう?たった数日、ママ猫の愛情を受けて育ち、そして殺されました。

この子達がなぜ殺されなければいけないのか答えられる人はいますか?

こうして罪無き動物たちが殺されてゆくことが正しいことだと思いますか?

処分に連れてきた人は自分がどんな事をしたのか自分の目で見るべきです。その子が苦しみ死んでいく姿を・・・。
それでも、その姿を見ても、処分に連れてきますか?

救いに行く人達がその子達の悲しい瞳を見て、悲しい声を聞いて、苦しんでいるんです。処分に連れてきた人たちには自分が行った行動がどんな事なのかを見て欲しい。知って欲しい。それがどんなに苦しい死であるのかを自分の目で見て、自分が犯した罪を実感するべきです。同じ活動をしている私の尊敬すべき友人は、ガス室に追い詰められていく犬達の姿を、ガスが注入されていくボタンが押される時を、そして5分…10分…15分と苦しみもがきのた打ち回る犬達の姿を、そして時間が来たら生死も確認されずに焼却炉に落とされていく犬たち、死に切れないまま焼却炉に入れられてしまった犬の断末魔の声、悲痛の叫びを聞きました…全てを見た友人は立ち直れないほどの悲しみにくれ自殺まで考えました。センターに収容されている動物たち、動物実験に使われている動物たち、もしも動物が自分の意思で死を選べるなら自殺を選ぶことでしょう。動物たちは自殺することすら出来ずに恐怖と戦い悲痛の死を遂げているのです。だから彼女は今も必死に活動を続けています。動物達の死を無駄にしないために。彼女が見た、その全てを知らせるために。彼女だって強い心の持ち主ではありません。私と同じ、いつだって心を強く持とうと、自分の心の弱さと戦っているのです。私たちは、どれだけ心をズタズタにされても、何度だって動物達のために心に沢山の絆創膏を貼って立ち向かっています。

救ってあげる事ができなかったみんなが、どうか天国でたくさんの幸せに包まれますように・・・

(愛ちゃんの救護はこちら

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