2012年5月8日 追記

下記はHP(パソコン内にて)不具合が起きてしまいUPまで時間を要してしまいましたが
4月上旬にUP予定だった物です。

不具合の解決に時間が掛かり予定から1ヶ月が経過した5月8日のUPとなってしまいました。

その為、状況も変わっており私の容態にも変化が…。

5月現在、体調は悪くなってしまっています。
4月30日の日記(→こちら)で、体が限界寸前で、仕事を1日休むとお伝えしておりましたが
それでは持ち直せませんでした。

4月29日より、また熱が出ており、入院を避けるために今は無理(仕事)が出来ない状態です。
とは言え仕事をしないとやっていけませんので仕事量を半分程度に抑えて何とか踏ん張りながら頑張っている次第です。
再入院を避けるために焦る気持ちを抑えて仕事をセーブ中です。どうか応援を宜しくお願い致します。


同じくUPできずにおりました4月中旬までの「私事の報告」のページも不具合が解決でき次第UPします!



私事の状況報告(入院)&少しだけ皆の様子
2012/4/6

私の状況についての経緯はこちら@ABCDEFGHIJKLMNOP

病を抱えての活動ゆえ、皆様に心配を掛けてしまう事、お許しくださいませ。

自分の体の為に目をつぶる事など出来ない現実が目の前にあって…どうしようもないのです…。

救ってあげたい命。

救った以上は良き里親さまとご縁を結んであげる努力、最後まで愛情を持って”幸せ”を感じる生活を送らせてあげる責任。

自分が出来る範囲の中で精一杯の努力を重ねていきたい!と…

手を差し伸べる事が出来なかった小さな命たちに顔向けできないような事のないよう精一杯の力で頑張っていく!と…

手を差し伸べる事ができ、その手を握った子達には少しでも多くの幸せを!と…

そう思って活動してきました。生きてきました。

しかし「自分が出来る範囲」も、その時々の「精一杯」も、そのラインは目に見えるものではありません。

ここまで救護したら病に倒れるよ。ここまで無理して仕事をしたら病に倒れるよ。そんな声が天から届く訳も無く…

きっとまだ大丈夫!もう少しなら頑張れる!と救護や介護、仕事…と、無理を重ねてしまいます。無理を続けてしまいます。

その結果、今回は全然「大丈夫」ではなかったようで緊急入院するという結果に至ってしまいました。

自分の想像以上に体が悲鳴をあげていること、無理が効かなくなっていること、感じながらも…

小さな命を目の前に…自分の精一杯のラインを「もう少し大丈夫。もう少し頑張れる。」と上に上に上げてしまうのです。

体が限界にきていても、最期の時間を過ごしている子が目の前に居ると不思議と体が持ちます。

しかしその子が天国へ旅立つと…張り詰めていた糸がプチンと切れてしまい音を立てて体調が崩れていきます。

病気の子や老齢の子達を多く抱え、何年も介護・介護・介護漬けの日々で

ひとり見送る度に少し自分の治療をしては再び次の子の介護生活やみんなのお世話に仕事に…と言う形で

自身の治療にお金も時間も多くは費やせず、ここまで走ってきました。

でも、だからこそ救えた命があり、だからこそ小さいけれども精一杯の愛情の中で見送れた子達がいます。

これからも変わることなく精一杯の力で頑張っていきたいと思っています。

その為にも、自分の治療費もせこらず、精一杯、自身の治療にも取り組んでいかなければならないな…と思います。

収入が減る中、お金は出て行くばかりと言う…生活が大赤字の環境の中での「精一杯」は

とても小さいと思うけど、一生懸命に頑張って参りますので、どうかハウスっ子達の応援を宜しくお願い致します<m(__)m>

皆さま、どうか、どうか、この子達の生活を共に支えて下さい<m(__)m>


日記で事後報告(→こちら)のみしておりました入院中と入院前後の報告をさせて頂きます。

2月に天国へ旅立ちましたシィちゃんです。

詳細報告までの間にシィちゃんを愛して下さいました皆さまに少しだけミニ報告です。

2月に簡易報告をさせて頂きました際にお伝えした
(シィちゃん天国への簡易報告は→こちら

旅立ち用のおべべ(お洋服)を着てシィちゃんは天国の仲間達の所へ旅立って行きました。

お洋服が大好きだったシィちゃん。

とっても可愛いでしょ。お洒落さんでしょ。

いつものように、お出かけ用のシィちゃん専用ベッドバックに乗って

お葬儀に行きましたヨ
大好きだったシーザー!と大好きだったカリカリ(心臓&関節サポート)に

大好きだったお刺身用サーモンのしゃぶしゃぶも作って持たせてあげました。

妹からはシィちゃんの大好きなシィちゃん専用の栄養補給!手作り介護ケーキの

出来立てほやほやも届きました!丸っ子1個、天国に持って行きましたヨ

もちろん、簡易報告内でお知らせしていたシィちゃんの大好物!「焼き芋ちゃん」も

約束通り焼いて持たせてあげました!お花の前にありますでしょ。

きっと天国で大フィーバーで皆でモグモグしていることでしょうね!

あっと言う間にペロリで「足りないぞ〜!」なんて皆の声が聞こえてきそうです(^^ゞ
骨に皮がついただけの体でハウスにやって来たシィちゃんは

それはそれは皆様の応援のお陰で美味しい物を沢山知ってグルメになり

焼き芋だって、こうして「石焼き芋」なのですよ〜。

シィちゃんの為にどれだけ石焼き芋を焼いた事か分りません。

シンさんは石焼き芋の焼き名人になりました程です。

シィちゃんの為に焼く最後の焼き芋…私もシンさんも涙が止まりませんでした。
皆様のお陰でシィちゃんは

愛される喜びを知り、「幸せ」という物がある生活を知って

天国へと逝く事が出来ました。

「殺処分」その運命から

シィちゃんの最期の時間をこの手で受け止めてあげることができて

本当に良かったです。

皆さん”ありがとう” そしてシィちゃん、共に生きてくれて”ありがとね”

寒がりのシィちゃんだから持っていたお洋服と同じ柄のぬくぬくの布で包んであげてます。
1月はタマゴ君と銀ちゃんを亡くし…その後、自身の治療を行うも

1月末よりシィちゃんの容態が悪くなってしまい

2月は自分の治療は介護の合間合間となっていましたが治療は続けてきました。

何とか熱も高熱にはならず体も持っていたのですが…

シィちゃんを無事に見送った直後には再び40度を超え

またまたお薬だけでは40度を下回るのが精一杯の状態に…。

まだまだ介護ちゃん達が大勢居て、病に伏している場合ではないのに…

ひとり見送る毎に…毎度々張り詰めた糸が切れてしまいダウンしちゃう私なのです…。
ふらふらな状態でお世話や介護、僅かながらでも仕事をし、自身の治療を受け、

何とか何とか旅立った子達を見届け、天国へと送り出したら

いつだって病院のベッドの上状態の私です。

まだ大勢居る介護ちゃん達の為に頑張って動けるようにならなくちゃ!と

治療を受ける繰り返し…。
あ゛〜う゛〜  と唸りながら天上や点滴を見つめながら

刻々と病院で時間が過ぎていってしまうのですが

こうして治療を続けると何とか車椅子ではなく自分で歩けるまでには回復します。

  

と言っても熱はずっと38度台後半〜39度台前半くらいある状態です。

治療を続けるも期待するほどは楽にはなれない月日が長く続いている状態です…。
2月も病院の天上ばかり見つめて過ごしてました。

治療を受けて帰った後、ひたすら安静にしていれば良いのでしょうが

どうしてもお世話してあげちゃいますよね…。

おトイレにも出してあげたいし、ご飯も作ってあげなきゃだし、ゴハン食べさせたら薬だってあげなきゃだし、

掃除も洗濯も…と老犬老猫ちゃん達のお世話は引っ切り無しです。

なのであっと言う間に熱も上がっていく日々。すぐに40度に舞い戻るのです。

と言っても、何もせずに安静に過ごした事もあるのです。

確かにフラフラな体で動かなくていいのは非常に楽なのですが、安静にしていても熱は変わらずグングン上がってました。

ならば、この子達の為にフラフラながらも出来る事くらいはしてあげた方が精神的にはずっとよくって

ついつい無理を重ねちゃうんですよね…(^^ゞ

と言っても、この体ですから、元気な子達のお世話やお散歩は全部シンさんがしています。

動くと言っても私は普通に動ける状態ではなかったので

このところは一生懸命、介護ちゃん達の介護を続けていた感じです。
2月最後の29日も治療を受けていますし、お薬も出してもらってますし、



入院日となります翌日の3月1日も一度病院で治療を受けて帰ってきてたのでした。

高熱が長く続き体は動かず意識は朦朧…キツイばかり…

治療を受けていれば大丈夫!と思っていたけど、治療を続けているにも関わらず悪化の一途…

「わたし本当に大丈夫なの?」という不安でいっぱいなほど具合が悪い日が続いて

この日も「すごく苦しいけど、こんな状態が続いているけど、本当に大丈夫なんですか?」って息絶え絶えに先生に聞いたし

薬もこれ以上は飲んではいけない!と先生に言われたので

とてもじゃないけど薬の量を減らしたり回数を減らしたら翌日病院に来るまでの間(夕方帰宅から翌朝病院までの時間)

体が持たない。夜を過ごしきれない。とも伝え、違うお薬の処方をしてもらって

病院での治療を終えてから帰宅の許可が出てハウスに戻りましたが

この日は自力で戻れずシンさんに病院まで迎えに来てもらってハウスに戻りました。
しかし僅か数時間で病院に逆戻り

何とか帰り着いたハウスでしたが苦しくてキツくて私は何も出来ない状態でした。

熱もあっと言う間に40度を超えてました。

そして、そのまま、病院に運ばれ、そして、そのまま、入院でした。
シンさんが家族に連絡してくれて

私が治療を受けて落ち着くまで

入院の手続きなどしながら

付き添ってくれてたみたいです。

動物達のお世話の真っ只中のことだったので

家族が到着して直ぐシンさんはハウスに戻り

お世話を再開してくれてました。
私は気が付いたら点滴いっぱいで…

姉達が入院に必要な物を買い揃えて来て付き添ってくれてました。

ハウスの子達は?って私が泣き出すと

シンさんが後で連絡くれるから!

ハウスの子達のゴハンも作って来てシンさんに渡してるから大丈夫よ!って

とにかく私が動物達の事を心配しないように、安心して治療に専念できるようにって

みんながワンとニャン達の為に動いてくれていました(ほっ)

体を拭いて買ってきてくれた下着やパジャマに着替え

痛い背中をずっと撫でてもらいました。
ベッド脇には検査の知らせも沢山来てました

散々検査しているのに…また検査…。

私は意識朦朧の状態だったので

点滴の交換のナースコールも姉に頼んで

寝たり唸ったりしてました。

姉達が帰ったのもよく覚えてないけど

遅くまで付き添ってくれてたみたいです。
朝ご飯です。

まだ熱もあって体もきつくて…起き上がるのも辛い状態…。

とても食事が食べられる状態じゃない…。

だけど元気になるために食べなくちゃ!

じゃないと帰れない!と必死に食べました。
ご飯の傍ら注射や採血や点滴と

大忙しです。
食後のお薬を飲むのもやっとの体力…。

ふらふらな私はコップすら持つ力がありません。

なので思いっきり水を零しちゃいました。

テーブルにも床にも…

ベッドから降りてコレを拭くのか…と思っただけで

辛いほどの状況でした。

殆ど歩けなくて検査での移動なども

全て車椅子だったのです。
ずーっとベッドの上で、ただ点滴を眺めて過ごす日々。

入院して一日中、治療を受けているけど、容態は変わらず

熱も高熱が続きました。
点滴で腕も炎症を起こしてしまいました。
右手、左手、点滴の針の場所を変えながら

治療は続きました。

点滴の種類によっては、とても痛くて

その点滴の間はずっと

ズン…ズン…と痛みが走りました。

点滴は長い時間かかるので痛みがある点滴は

本当に辛かったけど

みんなの元に戻るため!と頑張りました。
一日中点滴を受けながら… まだまだ熱にもうなされながら… 必死にご飯も食べました。

食べて食べて!早く元気になって帰らなきゃ!と無理して食べて吐き上げてしまったり

どうしても起き上がれず一口も口に出来ない事もありましたが

とにかく一生懸命に食べる事も頑張りました。
ナースコールを片手に

あとはずーっと点滴と天井を眺めてベッドの上で過ごす日々。

ハウスの子達が心配で頭の中は心配の渦がぐるぐるなのに

電話をする体力も気力もなく…病と闘っていました。


3月3日 おひなさま

病院でもお雛様ランチが出ました。
ひながしも付いてました!

折り紙のお雛様も添えられてました。
はぁ…3月3日なんだぁ…。母の命日…。

動けない私は病室から見える空を家族に撮って貰って

お空の母に

「お墓参りもしてあげられなくてゴメンね」を言いました。
痛みが酷くなったり

炎症を起こして腫れたりで

1〜2日で点滴の場所を変えるのですが

針を抜いた場所から出血ダラダラ…。
あっちもこっちも痛くて痛くて…今度はどこに針を刺そうか…です。
痛い。きつい。苦しい。熱は下がらない。

それでも食べなきゃ体力が落ちる!とご飯と睨めっこの朝・昼・晩。
腕は両腕とも、もう限界なくらい痛い…。針の場所を、少し、また少し、と変えながら点滴を続ける日々でした。
ご飯食べなきゃと思っても体はきついし…点滴は痛いし…。

痛みのない点滴の時はいいのだけど痛みがある点滴の間は本当にきつかったです。

1滴入ってくるごとにズン…ズン…と血管に痛みが走り、腕を動かすと激痛…

更にはその周辺がどんどん痛くなっていくのでしたぁ。

その痛〜い点滴が朝も晩もあって本当に辛かったです。

あまりの痛みに、もしかして、また薬が合わない…と恐怖に襲われ何度ナースコールをした事か分りません。

前にも早く治して戻らなきゃ!と点滴に耐えて…その結果、副作用で死にかけた事があるので、その恐怖が甦るのです。

あの時、もし向かいのベッドに入院していた人が私の異変に気付いてナースコールをしてくれてなかったら

私は今こうしてこの世には居ないのですから(こわこわ)

いくつも問題を抱えている体なのに、とにかく使えない薬が多くって、大変なのです…。

でも人によっては痛みを感じる点滴との説明。

しかし…やはり痛い…。痛すぎる!と今度は「点滴が漏れているのでは?」とナースコール。

でも漏れてなくって、その薬のせいなんだって。耐えるしかありません。
一日中点滴の日々なので毎日ずっと天上と点滴を見つめながら頑張ってました。

痛い点滴も、この体のきつさから解放される為だと思うと耐えられました。

でもこうして入院治療に入っても状況は変わらなくって…

本当にキツくてキツくて、私は大丈夫なのか?って怖いくらいでした。

24時間お薬しても、そう簡単には良くなる物じゃないですよね…

我慢するな!と家族に言われ、夜中もナースコールの嵐で、お薬を処方してもらったり看護婦さん達には迷惑掛けちゃいました。

ははは。3月6日だ。病院のベッドの上で誕生日を迎えちゃいました

治療は大学病院の主治医の先生に連絡を取ってくださり進めていって下さってました。

小鉄は大丈夫?マリンは大丈夫?ポポンは大丈夫?

チビ太は大丈夫?木登りは大丈夫?

ナイトは?トマトは?小雪は?じゅんぞうは?恋茶は?

ご飯食べてる?薬飲んでる?体調崩してない?便の調子は?

老犬老猫ちゃんたちや高齢の子、体調を崩しやすい子、食事の世話が難しい子…

センターの親子ちゃん達のこと(→こちら

そんな子達のことが心配で泣いてばかりいました。

そんな私にシンさんが誕生日プレゼントにぬいぐるみを買ってきてくれました。

「一生懸命、みんなに似た子を探したけど

ポポン爺ちゃんと黒ゴマ君しか見つけられなかった」って。

「この子達を抱っこして本物は我慢!今は自分の事だけ考えて治療に専念して」って。

「みんなの事は心配無用」って、ぬいぐるみちゃんを届けてくれました。

私が居なくて大変過ぎる中なのに

シンさんはこうしてぬいぐるみを探して、買って、持ってきてくれたり

みんなの様子をメールで知らせてくれたり…と、本当にとても頑張ってくれました。

”ありがとう”では足りない感謝の気持ちでいっぱいです。
家族はシュークリームやフルーツを

届けてくれました。

そんなに食べ物を口に出来る状態じゃないから

苺ちゃんも1粒1粒



一日かけて食べました。

一日中の点滴に加えて飲薬もです。
検査からお部屋に戻るとぬいぐるみポポンと黒ゴマ君が待っててくれて

 

寂しさを癒してくれました。

でも私が泣くせいで…ぬいぐるみ代がかかってしまったと思うと…

やっぱり泣けてしまいます…。
でも本当に癒してくれました。

ハウスに居る時と同じように、ずっと抱っこしてあげてました。
来る日も来る日も変わらぬ点滴の日々

少しずつ体も楽になってきて

熱も高熱までにはならなくなりました。
きつくて寝るに眠れなかったけど睡眠も取れるようになって



ぬいぐるみちゃんに癒されながらクークー寝てました。



そして元気を取り戻していきました
歩けるようになって窓辺に行ってみると

唐津城がバッチリの風景でした。
頑張って食べて!頑張って食べて!

はやく退院しなきゃ〜!

栄養士さんが色々考えてくれて

病室にも顔を出してくれて

お肉もお魚も食べない私の為に

ベジタリアン食を出してくれてるんです。

残さないように頑張って食べなくちゃ!です。
夜、窓辺に行ってみると

ライトアップされてる唐津城の真上に満月が出ていました。

しっかり写したつもりだったんですけど

熱に浮かされてるのでボケボケ写真になってました。

シンさんはまだまだお世話してるんだよね…。

私はずっと動物とじゃなく点滴と過ごす日々になっちゃってました。
3月9日の早朝の採血の検査結果を見て、退院の許可が出ました。

でも、治癒はしてなく安静が必要、退院後も飲薬で治療をしていって

今後も次なる検査や治療といった形で

その結果、再度入院も考えられる状況ではありますが

退院の許可を貰えました次第です。

病院食、最後のお昼ごはんです。
午後、点滴を外したけど

腕はあちこち腫れててイタイタです。

薬(点滴)の副作用で指先には薬疹も出てて…

退院!とは言えボロボロな感じです。

でもやっと、みんなに会えます
気も早々にお片付けの私。

入院治療費…清算の金額を…聞かされるのにビビリながら夕方までソワソワでした。

癒してくれたぬいぐるみポポンと黒ゴマ君も一緒に帰宅ですヨ〜。

なんてぬいぐるみちゃん達に声を掛けながら気を静めてました。



10万じゃ足りないよね…

大学病院はクレジット払いが出来るので助かってたのですが

ここは支払いは現金(クレジットカード不可)なので

一応15万円ほど借り入れをして入院治療費の準備はしてもらっていたけど

足りなかったらどうしよう…と不安でした。

でも、その場合は後日払いでも退院できると聞いてホッ。

でも自分に掛かる治療費は本当に『苦』です。

頑丈に生まれてきたかったです…
で、その入院治療費は、13万9860円でした。



足りました〜!

でも…泣きたいです。とっても。

余計に具合が悪くなっちゃいそうです。かなり。

一応、すぐに高額医療費の請求を家族に手続きしてきてもらったので

3〜4ヵ月後になるけど少し戻ってきます。

だけど、まだ正式には分らないけど、1万ちょっとしか戻らないみたいです。
まだ微妙にフラフラなままハウスに戻ると

サム君が『ままちゃん、大丈夫?』と優しくお出迎えしてくれました。

サム君もかなりのお爺ちゃん。

野犬時代は第3エリア率いる群れのボス犬でしたが

その威勢はどこへやら?ちょ〜おっとり犬になっています。

サム爺ちゃんはむちゃくちゃイイ子です!本当にすっごくイイ子です!

たくさんヨシヨシして”むぎゅーっ”て抱きしめてあげました!
まりんまりんです!

ママ!ママ!死ぬほど寂しかったよ〜〜〜って感じで

大喜び&飛び切りの笑顔で抱きついてきました。

急に居なくなっちゃってごめんね。ごめんね。って沢山抱きしめてあげました。
小鉄お爺ちゃんです!

私に気付いて「お帰り!待ってたよ!」って

癌末期で体が痛いのに

大喜びでお出迎えしてくれました。
ぼくもだよ。ぼくも。ぼくも。ぼくもだよー。とポポン爺ちゃんも必死。

よぼよぼな体で必死に飛び跳ねて私にしがみ付いてきました。

同じように飛びついてくるニャン達を「だめ。だめ。ボクなんだってぇ」と必死にはねのけて

私のもとへ。
とにかくずっと私から離れない子だったので急に私が消えちゃって

不安で不安でたまらなかったみたいで

とにかく「二度と離れない!」って感じでベッタリ度は更にUPし

少しでも離れるとキュンキュン鳴く度もUP…もう大変です…。

再入院の可能性があるまま戻って来て良かったのだろうか?と辛くなるほどです。

みんなを見てると、とても又直ぐに離れる訳にはいかない感じ…。

やっぱり再入院の可能性を残しては戻るべきではなかったかな…と思う気持ちと

残された時間が短い老齢の子達との時間は1分1秒が貴重な時間なのだから

少しでも長く、少しでも多く、傍に居てあげたい。傍に居たい。

入院していたら抱いて安心させてあげる事も出来ないのだから。とも思い

何とも複雑な気持ちに…。
順番に抱っこ抱っこ
ポポンちゃんぬいぐるみ&ポポン爺ちゃん!

並んでハイ!チーズ
黒ゴマ君と黒ゴマ君ぬいぐるみとの2ショット写真は

ぼけぼけの失敗作だったので

黒ゴマ坊ちゃんの1ショットで〜す(^^ゞ

2ショット写真は成功したらお披露目しま〜す!

動きまくりの黒ゴマ君

まま抱っこ〜と私の膝の上にやってきた所をパチリした黒ゴマ君でした。
翌朝の小鉄お爺ちゃん。

大きな発作を起こしてからサークル生活になったけど

おてては繋いで寝てるんだよ!

ボクがオシッコ行きたくなったときにママが眠ってしまってたら

トントンって手で起こすか鼻息をかけるんだよ。
日記(→こちら)にて小鉄お爺ちゃんの癌のこと

言葉だけでお伝えしていただけなので癌(腫瘍)部分の写真は

初めての掲載になると思います。

背中の矢印の部分が大きくなった癌(腫瘍)です。

癌は、1月5日、小さな腫れから始まり、日を追うごとに…驚くほど大きくなっていきました…。

2月21日の時点で余命1ヶ月無いと言われていたので

私自身、今回の自身の入院は途轍もなく精神的に辛いものでした。

帰れるつもりでいった病院から戻る事は許されず

残された時間が残り少ない子と離れることとなり…本当に心が病みました…。

この写真は退院翌日の3月10日のものです。

入院している間にまた一回り大きくなってしまっていました…。

酷い痛みに苦しみだして、どこかで安楽死を考えなければならない事になる…

そう言われた時から心休まる時間は1秒すら持てずに来ました。

痛みに苦しみ…のた打ち回る日がくるのかと思うと気が変になりそうで

頭が割れてしまいそうでした。

でも小鉄爺ちゃんはギリギリまで笑顔を見せてくれて過ごし

寿命を生き抜いてくれました。

様子を見ながら痛み止めを使いつつではありましたが

小鉄お爺ちゃんはこうして元気に頑張ってくれていました。

退院して戻ってきた私を笑顔でお迎えしてくれて

こうして自由タイムも楽しく過ごせていました。

入院中に小鉄君が急変することなく過ごしてくれていて本当に良かったです。


小鉄君がこうして過ごせたのも

ご支援いただいてました”まいたけエキス”アガリクス”などを

毎日飲んでいたからかな♪



どうしようもなく苦しんだのは最後の一日だけでした。

それまではご支援いただいた馬肉ご飯、デビフ缶、霧島鶏、朝晩しっかり楽しんでました!

おやつがグーテの日は大喜びしていました!

水素水もクピクピごちそうになりました!

応援して下さった方々に心から感謝いたします<m(__)m>


この癌さえなければ…この癌さえなければ…

小鉄お爺ちゃんは、きっと大長寿犬になれたのに…。

17歳を目前にしてボケは一切なし!

酷く痩せることもなく

目もしっかり見えており、耳も遠くならずしっかり聞こえてる!

首を傾けることもなければ、クルクル回るような事もなく

本当にすこぶる元気なスーパーお爺ちゃん犬だったのですよ。

怖いのは癲癇発作だけだったのに…

こんな癌に襲われてしまうなんて…

もっともっと、ずっとずっと、共に生きて行きたかったです。

もちろん元気といえども老犬ちゃんで、更には発作持ちの上、癌におかされ

介護生活の大変さは多々ありました。

小型犬じゃないので抱っこして階段の上り下りを繰り返すのだって大変で

肩も壊せば腰も膝も壊し…シップやコルセット、痛み止めの服用も余儀なく…と

人間組みも介護を続けていくために悪戦苦闘の日々です。

未報告の子達も含め、そんな山あり谷ありの皆との沢山の思い出を

少しずつでも更新していけるように…といつも思っています。

気を長くして待っていて下さいね(^^ゞ


幸せの森で〜す。

森にお引越ししている頭数もかなり増えてはいたのですが

私の入院中に…更に森へお引越しがあっています。

と言うのも、シンさん一人でみんなのお散歩までしてたら朝になってしまって

仕事も遅刻(>_<)と言う大惨事で

運動は幸せの森の運動場で!と言う事で、若手元気組みはどんどん森へ連れて来た!

と言うことです。

久しぶりのご対面!まずはこっそり車内から様子伺いの私。

みんな私に気付かず運動場をウロチョロ楽しんでますよ〜。

まだ気付いてないですヨ〜(笑)
まだご報告できてませんが運動場と連結しております

あっ君たちスペースです!

壊されては補強の繰り返ししてます。
私に気付いて運動場からどんどん駆け寄り中!

大勢で押し寄せられたら柵が壊れてしまうので私もダッシュで移動(^_^;)
まま〜お帰り〜!と追いかけてくるワン軍団!

こちらも…補強!補強!でボロボロ…かなり悲惨な柵でございます。

もちろんコチラも大勢で押し寄せられたら糸も簡単に倒壊します(>_<)

あぁお金があれば…です。

去年の夏に一度、運動場の柵の見積もり(おおまかなもの)を取ったのですが

ブロック塀なしのフェンス囲いで123万6千円でした。

今はとてもじゃないけど無理・無理・無理でございます

森っ子メンバーが増えれば増えた分だけ水運びに悲鳴のシンさん。

とにかく資金を貯めて!柵が先か?水が先か?何としてでも頑張らなきゃです。
柵が壊れるぅ〜〜〜!と慌ててオヤツを持って入るシンさん。

とにかくオヤツで釣って柵からワン軍団を遠ざけてますぅ(^_^;)

ワン達は、ん?あれ?どうしよ???  まま?それともオヤツ? ん〜どうしよ?って、あっち?こっち?

キョロキョロでした。
私は「えっ行っちゃうのーーー(+_+)」です(笑)

私を気にして、みんなチラチラと私を振り返りながらも、オヤツへと行っちゃってますぅ〜(笑)

あれよ…あれよ…とオヤツの方へ
私との再会を忘れてオヤツに夢中!な感じ…ですよね(~_~;)

本当に可愛い面々です♪

私が入院しててシンさんもドタバタしていたので、私と会うのも久しぶりの皆だけど

このオヤツタイムも久しぶりの皆だったのです。

だから嬉しさ倍増で大喜び
白色コンビの大と小!

大きい方がシロ君で小さい子が愛里クンです。

威嚇全開だった愛里君も

随分とハウスっ子メンバーになってきてますヨ!

ただ、まだまだお痩せさんです。
み〜んな仲良く♪楽しく♪暮らしています!

並んでいるハウスは東日本大震災の被災ワン達の受け入れの為に

ご支援いただいた犬小屋です。

主には、それ以後にセンターから受け入れた子達が使っています。

九州ゆえ被災ワン達の受け入れは無理という結果になりましたが

犬小屋、食器類などなど

捕獲された北九州エリアの子達の救護アイテムとなり活躍しております。
マウンテン5ちゃん達にオヤツをあげているシンさんなのですが

その後ろであっ君や運動場自由組み達の「ちょうだいワン」攻撃が繰り広げられています。

視力があまりないホット君やみゆきちゃん、瞳ちゃんなどが

四六時中、自由気ままに過ごしてます。

と言うのも目が見えないと運動場に一斉に出るときの大興奮時に

ぶつかったりする事が原因で周りの子に噛み付きまくるので

そうならないように目の悪い子達は自由生活
自由組みちゃん達用に

あっ君ハウスの周りにハウスを置いてあげてます。

運動場の真ん中にも木陰用や小雨対策に屋根や憩いの場を作ってあげている所です。

みんなが少しでも快適に過ごせるように”幸せの森作り”一生懸命に頑張ってます!

森のご報告もしていかねば!ですね!
老猫ちゃん達も日向ぼっこのベランダタイムしながら

のんびりと老後を過ごしています!

裏山で竹の子採ったり、里道でふきを採ったり、

老ニャン達のベランダタイムを利用して家庭菜園でニラを育てたりして

食いつないでいる人間組みです!
「安静」が必要で無理をしたら

再び病院戻りになるだろう私…

しかし、少し横になろうにも、

横になれば

ワンにニャンにベッタリ乗られて

キツ・キツ・キツ…

身動き取れない。休めない。なのでしたぁ。
お誕生日プレゼント有難うございます

私もシンさんも3月が誕生日

皆様に「おめでとう」を言ってもらったり

お誕生日プレゼントを頂いたり致しました。

なんか本当に心がほっこりします。


私は…と言えば、学生時代、社会人生活、いつの時代も、

動物達のお世話があり、友達付き合いも出来なければ、社会人としてのお付き合いも出来ず…

友達とショッピングに行くお金があるなら、映画を見るお金があるなら、ランチやディナーを楽しむお金があるなら、

不幸な環境に置かれている動物達の為に!とお洒落も娯楽も楽しまず生きてきて

動物達のお世話があるから!と会社の忘年会も慰安旅行も欠席…という肩身の狭い人生を送り

身内の結婚式にも、お葬式にも出席できないでいる私。

動物たちに人生を捧げて生きてきたことで

私が死んでもお葬式には犬と猫しか参列しないんじゃない…なんて言われてきました。

もの言えぬ動物達の為に生きると言う事は本当に簡単な事ではありませんでした。

したくてしてる生活じゃないけど…分ってもらえる事はないのです。

私もまた…動物たちと同様に沢山傷付き、苦しんできました。

そんな私が多くの方々に支えていただき活動を続けていること

お誕生日に声を掛けてもらったり、プレゼントをいただいたりしていること、本当に本当に心が温まります。

皆様との出会いは動物達が私にくれた宝物だなっていつも思います。

動物優先!動物たちのこと第一!という生活で、皆様方にきちんとお礼も言えずに過ごしている私なのに

優しく寛大な心で応援を続けていただけ本当に本当に感謝しています。

言い尽くせぬ感謝の気持ちでいっぱいです。

その思いをちゃんと伝える事が出来ずに居る事が一番無念でならないのですが…

動物達のお世話が山積みの毎日で…。

本当に「ごめんなさい」…では許されませんが…本当に「ごめんなさい」

許してくれている皆様方に心の底から感謝しながら日々頑張っています!
退院後、小鉄お爺ちゃんとの時間を

大事に大事に過ごしました。
ご支援いただいたお座布団や低反発枕!

小鉄お爺ちゃんのお気に入りでした!

皆様からのご支援のお陰でいつもフカフカでした!
ご支援いただいてます馬肉も沢山ご馳走になりました!

小鉄君は本当に元気いっぱいのスーパーお爺ちゃん犬でした。

こうしてお世話をさせていただけたこと

皆様方のお陰です。

みんなのお世話を私にさせてくださって

本当に有難うございます<m(__)m>
小鉄お爺ちゃんは3月25日 お葬儀を終えてマイハウスに帰宅しております。

日記にて小鉄君の「お葬式のお知らせ」時の報告は→こちら

日記にて小鉄君の「お見送りいたしました」報告は→こちら

簡易報告続きですが詳細報告も時間が出来次第あげて参りたいと思っています。



きっと天使の羽を手にした天国の子達は応援してくれた皆さまの下へ

”ありがとでちた”のご挨拶に伺っていると思います。

直ぐ近くで ”ボクだよ〜!”ワタシだよ〜ん!”なんて言っていると思うので

ぜひ天国へと旅立ったワンニャン達にお声を掛けてあげてくださいネ

きっと大喜びです

あっ!それから、それから!

月に一度、必要なお薬を届けている地域猫のチコ爺ちゃん(チコちゃんの詳細は→こちら)。

毎月、必ず月始めに薬を届けてきたのですが、3月は1日から私が入院してしまって

チコちゃんにお薬を届ける事が出来ませんでした。

退院して戻ると「薬を〜」との連絡が入っていました…。

入院していて届ける事が出来なかった事や

まだ仕事復帰できない事を伝えて

出来るだけ早くお薬の準備をして郵送にて、お薬を送る約束をして

チコちゃんに薬を郵送で送りました。

退院後、苦しい時で、ご支援金にてチコちゃんのお薬を準備させていただきました。

動物たちの為にお力添え下さっています皆様に心より感謝しています。

本当に有難うございます<m(__)m>

無事にお薬をお受け取りになられたこと及びお礼のお葉書が届きましたので

掲載させていただきました。

チコちゃんの近況など、また報告してまいります。

お薬は欠かせないけど、チコ爺ちゃんは、ビックリするほど、とっても元気にしています。


わたくしの退院後、小鉄お爺ちゃんの容態の悪化などで

3月、退院後は、予定していた検査が出来なかったり、通院も出来なかったり…ではありますが

お薬を出してもらって治療だけは続けながら介護に当たってきました。

再入院や検査入院を避けるために4月からは大学病院に戻って必要である様々な検査や治療を再開させています。

追って4月の状況をUPさせて頂きますが要注意状態とは言え何とか再入院は回避できたかと思います


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